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20220913

古文書講座から学ぶ(1)

プロロ-グ

報告者は、令和2年10月から「武蔵野ふるさと歴史館」(武蔵野市立)の「古文書解読講座」(初級)を受講した。新型コロナの影響で、半年遅れで始まった。関係者によると、応募者は定員(15名)の倍以上であったと聞きます。この歴史館の「古文書解読講座」は周辺地域の人々にとって大変な人気です。

受講者の多くは60歳以上で、中には40~50代の女性が4~5人いました。察するに学習の動機は-①古文書を読めるようになりたい。②その上で、近世(参照1)の人々(農民)の生活を知りたいなどです。なお、報告者は本年6月26日から同歴史館主催の初級編Ⅱ(全10回)を受講しています。以下、受講者の学習風景と授業の内容です。

授業風景

当初は“うきうき”感のある授業風景は未知の世界への期待です。最初の授業の教材は、『江戸方角』(東京学芸大学付属図書館所管/望月文庫目録1907/寺子屋教材)です。当時の子供達の地理の教材として使用されたようです。江戸城からほぼ東の方角(方位)の地名の学習です。以下、本文です。

江戸方角

御城外東者(は)、和田倉八洲河岸龍の口・呉服橋堺(境)/日本橋堺町杉森橋/両濱渡/霊岸島新田島/永代八幡33間堂/洲崎辨天/深川霊雁島/南東所小木川五百羅漢辰巳の方角-。

慶安御触書

慶安御触書
出典:「群馬県立文書館

受講者の多くは次第に古文書に親しみを感じてきたようです。後に御鷹場関連の古文書などを読み続けます。その一端として、「慶安御触書」が配布されます。同史料は古文書らしい古文書の印象を受けます。江戸幕府の農民統制へのために発令された幕法です。しかし、原本は発見されていません。史料は百姓の贅沢の戒めであり、農業に精を出すよう求められています(32条と奥書から成り立つ)。同文書の呼称が広く流布された背景には、美濃国(岐阜県)の岩村藩で出版された文政13年(1830年)の木版本です。

本文

本文
出典:「群馬県立文書館

「諸国郷存江被仰出」(諸国郷存へ仰せ出さる)

一(ひとつ)公儀御法度を怠り(おこたり)、地頭代官之事をおろそかに不存(ぞんぜず)、扨又(さてまた)名主組頭をば、真の親とおもふべき事 

一名主・組頭を仕る者(つかまつるもの)、地頭代官之事(のこと)を大切に存じ、年貢を能済(よくすまし)、公儀御法度を不背(そむかず)、小百姓身持仕様(みもちつかまつるように)に可申渡(もうしわたすべく)、扨又(さてまた)手前之身上不成(ならず)、万(よろず)不作法に候得而(そうらえば)、あなとり不用物(もちいざるもの)に候間、身持ちを能致し(みもちをよくいたし)、不便不仕様(ふべん仕らざるよう)に常々心掛申事(つねずねこころがけ申すべきこと)、

一名主心持我と中悪党者成共(自分の中の悪い者ども)無理成儀を申しかけす、又中能者共(なかのよいものども)依怙贔屓(えこひいき)なく、小百姓を懇(ねんごろ)にいたし、年貢割役等(わりやくなど)之わり、少も無高下(すこしもこうげなく)、ろくに可申渡(ろくにもうしわたすべし)、扨又小百姓ハ名主組頭之申付候事(もうしつけそうろうこと)無違背念(いはいなく/約束を背く)を念入可申事(ねんを入れもうすべきこと)、

一耕作に精を入(出し)、田畑之植様同拵え(こうしらえ)に念を入、草はへざる様(くさがはえないよいに)に可仕草を能取(しかっりくさをとり)、切々佐之間に江鍬入仕候得ハ、作も農能出来(さくもよきでき)、取実も多有之(取る実も多く)、付、田畑之堺ニ大豆小豆なと植(田畑の境に大豆・小豆を植え)、少々なりとも可仕事、

一朝おきを致し、朝草を刈り、昼ハ田畑の耕作にかかり、晩にハ縄をない、たわらをあみ、何にてもそれぞれの仕事無油断可仕事(しごとゆだんなくつかまつるべしこと)、

一酒茶を買いのみ申す間敷候、妻子同前の事、

一酒・茶を買い、のみ申す間敷候(もうすまじくそうろう)、妻子同前の事、

一里方は居屋敷の廻(まわり)に竹木を植え、下葉(落ち葉)なりとも取り、薪を買い候わぬように仕るべき事、

一万(よろず)種物、秋初めに念を入、えり候て、能種(よいたね)を置き申すべく候、悪しき種(わりたね)を蒔き候えば、作毛あしき候事(作柄はよくない)、

一正月11日前に毎年鍬のさきをかけ、鎌をも打ちなおし、能きれ候ように仕るべし、悪しき鍬もてば田畑おこし候に果勇敢(ゆうかん)候わず、かまもきれかね候えば、同然の事、

一百姓は肥灰調置き候義(こへはいととのおき)、専一に候間、雪隠を広く(トイレを広く)作り、雨降り候時分、水入ざるよう仕るべし、それに付き、夫婦かけむかいのものに而、馬も持事ならず、こへため申し候もならさるものは、庭之内に三尺に弐間程にほり候て、其中へはきため又ハ道の芝草を人れ、せせなぎの水を流入れ、作りこえを致し、耕作へいれ申すべき事、

中  略

慶安二年丑二月廿六日(1649年4月7日)

(史料)「徳川禁令考前集 第五」創文社、昭34年7月30日 159~164頁

エピロ-グ

「慶安御触書」を読むと、普段の農民の生活への細かなところまで規制が徹底していることに驚く-これが封建時代の本質-近世の実情と思われる。士農工商の身分制度は幕藩体制の支配を維持し強固にするために、社会秩序を固定するためのものだった。この支配構造は265年の長きにわって続いた(参照2)。

著者の古文書への動機は、五十嵐家(新潟県新発田市出身)のル-ツを調べる際、現代の戸籍から判明するのは、化政時代(文化・文政)迄である。さらに遡るには新発田藩・菩提寺の「宝光寺」の過去帳を見るほかない。このため難渋な古文書を解読するには、多くの古文書を読みこなす以外にない。

グロ-バリゼ-ション研究所所長 五十嵐正樹

参照

(1)近世とは、歴史を古代・中世・近世と四つの時代を区分した時の一時代の呼称で、江戸時代を中心に織豊期から明示維新までの約300年間をさす「総論日本史」2021年(令和3年)4月1日/第15刷発行

(2)五十嵐正樹著「江戸時代の農民の生涯」、グロ-バリゼ-ション研究所、スイベルアンドノット、2022年6月

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