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20220621

越後を歩く(1)-関川村の静寂-

プロロ-グ

筆者の住む武蔵野市から関川村までの道路距離は約360kmある。JRを利用すると、東京駅から新潟駅まで上越新幹線で約2時間、坂町駅まで秋田行の特急「いなほ」で、50分余り、坂町から米坂線で越後下関駅約15分である。今回は新発田市から車で約1時間を要した(2022年6月2日)。

関川村は新潟市から北東約60kmあり、山形県置賜地方に隣接している。県内隣接市町村から北西に村上市、南に胎内市があります。村の広がりは東西約20km、南北に約30kmあり、飯豊連峰、朝日連峰などに囲まれ、一級河川とその支流に沿って形成された盆地です(関川村の自然/2016年1月3日)。以下、関川村の物語です。

関川村
出典:「新潟日報+

関川村概況

越後岩船郡(下越)の東端に位置する関川村は米沢街道(国道113号線)の要所の地である。県境を抜けると、山形県小国町である。村を荒川が流れる。2022年6月2日に新発田市から当地を訪れた。村役場の前には豪農の渡辺家住宅、近くには佐藤家住宅(非公開)があり、何れも重要文化財です。

関川村は総人口5098人(推定人口、2022年4月現在/1864世帯/男2459人、女2639人/転入8人、転出15人/出生2人、死亡13人)です(「広報せきかわ」2022年6月1日/No.734)。

佐藤邸
出典:「関川村役場

歴史は語る

大名貸し

関川村の渡辺家は越後でも有数の豪農です-396町歩を所有、山林所有面積は1000町歩を超え、江戸時代の天保年間(1830-44年)の相撲番付風に作成された「越後国持丸鑑」では勧進元の市島徳次郎(現:新発田市)に対し、行司役に渡辺三左衛門を当てています。いかに渡辺家が高い評価を得ていたかを物語るものです。

関川村の歴史は渡辺三左衛門の歴史とも言って過言ではありません。渡辺家には約2万3000点の古文書があり、同家が酒田(山形県)の本間家とともに米沢藩の特に名君といわた上杉鷹山時代(1751年9月9日-1822年4月2日)の金主として、その改革が重要な役割を果たした史料が含まれています。幕藩体制下の地主の存在形態を示すものとして興味深い。渡辺家は大名貸しが頻繁に行われ、金力を誇示し、幕藩体制-士農工商が農士工商へ変質したように思えます。

救荒

江戸時代には、享保、天明、天保の三代飢饉をはじめ多くの災害、凶作、飢饉が起きて社会不安を引き起こし、一揆騒擾となったことは周知の事実です。そのため、幕府・諸藩では江戸時代中期以降多くの対策を講じました-①囲米制度・社倉制度などの貯穀。②租税の減免、穀物の払い下げ、③種子籾・夫食(ふじきまい/農民が食糧にする米)の貸し付け、④飢饉食の指導、救小屋設置、穀留め米価の調整などが挙げられます。

この世相の非常事態において、豪農渡辺三左衛門の活躍が目立ったのです。水原代官所(現:阿賀野市)は渡辺家に救済の多くを依存したことが言えます。この難事に渡辺家の財力が功を奏します。渡辺家の「救荒活動」はすでに六代善富が1785年(天明5)米沢藩から天明飢饉の救荒を賞される銀子15枚を与えられたといいます。

その事例を紹介しますと-

  1. 天明5年-囲籾700俵を提供。
  2. 寛政10年6月-寛政安米売り出し、極難の者に手当、同8年水難に夫喰米、回米合力-
  3. 寛政10年7月-難民に年貢納入資金1000両を貸付く
  4. 天保元年-大凶作に付、抱持村々入付米勘弁、御年貢弁納、極窮の村へ合力米、都合代金にして2925両分
  5. 天保2年凶作に付、安米売、手当米、施粥合せ2110俵、銭70貫文
  6. 天保5年-七ヶ谷村々及び桂村小和田村窮民に67両合力、郷中へ安米1500俵、合力米61俵1斗合力銭150貫文等

(渡部家と救荒「北越豪農渡辺家の歴史」小林弌著)。

関鉄之助

捕縛

今から161年前の文久元年10月23日、普段静かな下関村に事件が起きた。幕末に桜田門外の変で井伊大老を暗殺した首謀者の一人関鉄之助(文政7年10月17日<1824.12,7)>~文久2年5月11日<1862.6.8)が、同村の湯沢温泉の田屋にて捕縛されたのです-その経緯を辿ると、同変以後、常陸袋田村の豪農桜岡家、高柴村の益子家などにかくまわれています。

心境

さらに逃走し、越後下関に潜入したのです。捕縛後、水戸赤沼の獄につながれ、翌2年4月5日江戸伝馬町に転送の上、同年5月11日江戸で斬罪に処されました。時に年39歳でした。捕縛の心境を訴えた7言絶句が残っています。「湯沢就縛将帰郷途中口 占」となっているので、護送途次、口づたえに記録してもらったものと推測されます- 「仰不愧天寧愧世 丹心如火亦明誰満山 満山風雪吟懐豁正是従容就義時」-。

昭和11年、見附市に生まれた宮内省侍医師であった入沢達吉博士は、高瀬温泉を訪れ、関鉄之助の史話を聞き、自ら撰文を揮毫して、「関鉄之助潜匿記念碑」を地元佐藤泰造・斎藤猪次両氏の斡旋により建立されました。8・28水害で碑は押し流され行方わからなくなりましたが、幸い拓本が残されていたので再彫刻の上、高瀬温泉薬師堂わきの公園に復元されました。

定評のある綿密な事前調査を基に小説を書いた吉村昭は著書『桜田門外の変』(下)を書くに当たって事前に、史家谷沢尚一氏が同行し、「就縛始末」には「湯澤と申す候処ニテ召捕ニ相成申候」(湯澤呼ばれる処にて召捕らわれ相成り申し候)とあり、関川村の史家高橋重右衛門ェ門氏も地元の史料からそれにちがいないと、現地を案内してくれたと記しています。

鉄之助が捕らわれたのは、渓流の上手にある田谷旅館であった。旅館は当時と比べ立て替えられていたが、当時の面影は十分で、潜伏するにはふさわしい地だと思ったと吉村昭はあとがきで記している。なお、田谷旅館の前に下関の大庄屋佐藤又治右衛門は、「鉄之助は10月16日と17日の夜、お泊りなりましたと述べています。

現在を生きる

自然環境

近世から現代に目を移します。関川村は、新潟県北部に位置し、岩船郡に属する村です。1954年8月1日、関谷村と女川村が合併し関川村となります。村上市への通勤率は23.4%(平成22国勢調査)。村全域が国から特別豪雪地帯の指定を受けている。役場近くのアメダス「下関」地点の平年値は降雪累計が5.19メ-トルですが、山県県境近くの金丸小学校では4.00メ-トルです。

村の概況

同村の具体的な農業デ-タを見る事にする。先ず「面積」を確認してみよう。総面積は29.961ha、林野面積22.252ha、耕地面積1.340ha、田耕地面積1.200ha、畑耕地面積140ha、「人口/世帯」-総人口5144人、男2444人、女2700人、年少人口467人、生産年齢人口2458人、老年人口2219人、総世帯数1756世帯、「事業所総数」-369事業所、建設業事業数74事業所、製造業事業所数23事業所、「農業経営体数」408経営体(農林省農業デ-タ/新潟県関川村2020年)

村長室から

最近入手した広報「せきかわ」22年6月1日の「村長室から」のコラムをみると、今月の話題は、村の農業への取り組みについてです(以下、その内容)。

  1. 村では、現在1000ヘクタールの水田で年間約4700トンのコメ生産されている。中でも村内で生産された岩船産コシヒカリは人気が高く、引き合いも多いと聞いている。
  2. 反面、農家数は昭和35年の1439戸(農家率68%)をピ-クに減少し続け、令和2年408戸(同22%)となっています。

新しい取組み

同様の資料の中からスマ-ト農業の実装に向けて「関川村農業DX推進協議会」設立について、関川村では以下の方策を指摘した。 1労働力不足への対応、2生産の効率化、3付加価値の高い商品を生み出すことを目的ににいがた岩船農業協同組合、新潟県農業共済組合、関川村土地改良区などの農業関係機関が協力し、また、新潟県からの指導・強力得て「関川村農業DX推進委員会」立ち上げた-農業目線によるスマート農業の実装に向けた取り組みを行っていきます-これにより関川村はより生産性の高い農業を目指すという。

観光情報センタ-

筆者はこれまでに多くの「道の駅」(関東圏)を訪れた。何れも人・人-都会の喧騒が、地方に移っただけである-混雑の極みである。時間をかけて漸く辿り着いたが、疲れが増幅するだけ!関川の道の駅は静かである。売店には多くの地元産のお土産が目に映る。

おにぎり

先ず目についたのは、関川産の「こしひかり」である。早速、賞味をする機会を得た。地元の若き女性(調理師)がつくった鮭入りのおにぎりとのり巻きであった。筆者は最近、おにぎりをほとんどを食べたことはない-口に入れた。“うまい”の一言。素材の良さがきわだっている。

お土産に買った新潟甘味処越後庵「塩ようかん」を帰宅後に茶を飲みながら食べてみた。美味しかった。ラベルを見ると、地元産ではないようで、県内で製造されたようである。また、野趣溢れる鮎の炉端焼きを食べた-荒川で獲れたようで、納得の値段である。以前、栃木県の鬼怒川の鮎をたべたことがあるが、荒川で獲れた鮎は絶品!

山形ナンバ-

関川みちの駅で駐車している車のナンバ-をみると、ほとんどは新潟ナンバ-が多かったが、中には山形ナンバ-の普通車が多く、お年寄りの山形弁は地方色が漂い筆者の耳目を和らげた。残念ながら筆者の住む多摩ナンバ-は見られなかった。五泉市、新発田市で散見(商用車)された-関川村はやはり遠い。

エピロ-グ

原風景

同広報「せきかわ」の表紙を見ると-郷土を学び、自然の豊かさを体感-関川中学校の1年生が学校田の田植えをしている写真を見た。周囲は柔らかな丘陵地帯がひろがる。筆者はこの写真を見て瞬時にに“天賦の地”と頭を過ぎった-自然と人間(若い人)の共存共栄の風景-日本の歴史が刻んできた原風景でもある。筆者は今回の訪問で既述のごとくおにぎりの美味しさと自然の美味しさを体験した。

関川村役場
出典:「Wikipedia

(グロ-バリゼ-ション研究所)所長 五十嵐正樹

引用史料

(1)「関川村史」、関川村村史編さん委員会、関川村、平成4年2月29日
(2)小林 弌著『北越の豪農 渡辺家の歴史』、関川村、平成4年2月29日
(3)広報「せきかわ」2022年6月1日、No.734
(4)高橋重右ェ門著「せきかわ歴史散歩」 ふるさとBOOS、A001、関川村
(5)吉村昭著「桜田門外の変」(下)、新潮文庫、平成7年4月1日、333-343頁

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