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20220610

多摩を歩く(3)-ぺリ-来航と多摩の反応

プロロ-グ

ぺリ-が浦賀に来航したのは1853年(嘉永6)6月3日夕方である。この動きにより日本は国中が騒然とした-泰平の眠りを覚ます上喜撰(高級茶の名=蒸気船)たった四杯(四隻)で夜も眠れず-民衆の“驚嘆”の心情が伝わってくる。

この歴史的事実は幕府の瓦解の起点となり、日本のグロ-バル化の始まりでもあったと言える。この変事は多くの時間を要して、日本の隅々まで伝播(つたわる)した-その具体的な事例を多摩各所に見た。以下、その実態を記した。

黒船
出典:「Wikipedia

多摩の反応

日記

黒船の来航は、社会不安を引きおこし、江戸市中はもとより、多摩地域の人々も直接、間接に影響を受けた。黒船来航時の多摩の反応について、以下の日記から実情を見る事にする。

柴崎村(現:立川市)の名主の鈴木平九郎は来航直後に御用で江戸へ出かけ、市中の混乱を目の当たりにしています。(『公私日記』第16冊/立川市教育委員会)。

  • (嘉永6年6月10日)(略)-当月三日、浦賀表江異国船渡来、北アメリカ州之由ニ而願向有之、軍船三艘長サ七八拾間ッ、外ニ蒸気船壱艘長弐三間、走る事飛鳥のことし(略)人気騒立米価躍り誠ニ以御入国以来寄(希)代之銘事也13日、快晴(略)△異国船昨日退散(略)
  • ぺリ-艦隊が本牧沖まで入り込み水深を測ったことを「傍若無人の振舞」と怒り、日本側の防御の船が追い付けず、まったく歯が立たなかったことや、防御の武士が「甲胄あるいは家事装束で武士を飾」ったり「相図しだいで市中まで家事装束で駆付」けるようなお触れが出たと記録し、ぺリ-が去ったあとを「市中安堵のよし」と、ほっとした気分を記しています。

武蔵村山の陰陽師の指田摂津氏の「指田日記」(上巻)によると-6月11日の日記によると、「雷、当月、異国黒船相州浦賀に入り、海手所々の固めあり、然れども、江戸に船入る事能(あた)わず、諸色高直(こうじき/物価高騰)になる。在々織物の類(たぐい)を買う者少なくなく、値段安く織るもの難渋す」と記している。

東京湾
出典:「写真AC

地域

小金井

多摩の小金井の村々には6月12日の日付で、幕府の代官勝田次郎は役所から「相州浦賀表へ異国船四隻渡来」したが、12日には「帰帆」したので「安堵」して農業に励むとともに、異国船に関する噂話などは慎み、火の元に気を付けて盗賊にも用心するようにとの廻状が回されている。

ぺリ-は、将軍(第12代徳川家慶/1853年7月27日逝去)が病気で香港へ向かった。再来日はわずか7ヵ月後の翌嘉永7年1月16日であったが、ぺリ-再来に対して、翌日17日に関東取締出没から、このような不穏な情勢に乗じて「悪党」が経ち回るかもしれないとして、村々の取り締まりを厳重にするようにとの廻状が回された。

国分寺など

18日には国分寺・恋ヶ窪村(現:国分寺市)・本宿村・是政村(現:府中市)・上保谷村(現:国立市)・犬丸村(現:稲城市)の甲州道中助郷惣代村々から「助郷人馬継立方も安心」できないとしてその対応策を協議するため翌19日に会合を開く旨が達される。また府中大國魂神社ではでは異国船退散などの“祈祷を幕府に願い”出る。

これに対して幕府の役人は「此節所々右之届」があり、また祈祷札の献上を申し出る者が多くあるが、献上の必要はなく、また、祈祷の必要届け出も口上ののみとし、「以後も右様之義有之筋は何ヶ度も御祈祷執行可致」ことを述べており、(『六所宮神主日記』)、ぺリ-来航に対する人々の動揺ぶりを窺うこことができる。

下谷保

医師本田覚庵(国立市)は「異国船渡来一件併絵図」/「浦賀湊江異国船一件」「ぺリ-来航一件幕府情勢情報書」(本田咊夫家文書)の三点を書き写して黒船の姿を残しております。黒船の絵は各地の指導者層の家から発見されていて、当時の人々の関心の高さがあります。

エピロ-グ

黒船来航は江戸幕府の瓦解の起点となった。多摩地域も既述のように治安悪化を懸念して各地は戦々恐々としていた-幕府開闢以来、日本は国難となった。今から169年前の出来事である。14年後には明治維新を迎える。

翻って現状見ると、日本は多くの主義主張の違う国々の一つが日本目掛けて断続的にミサイルを発射している。同様に尖閣諸島には大国の船が押しかけて、日本の領土を奪還しようとしている。

日本は唯々非難を繰り返しているだけである。加えて、ウクライナへのロシア侵攻も勃発し、世界は動揺し、新しい局面を迎えている-日本は“国難に直面している。黒船来航169年後の日本-その行方が気になる。

ウクライナのひまわり畑
出典:「写真AC

(グロ-バリゼ-ション研究所)所長 五十嵐正樹

引用史料

(1)『小金井市史』(通史編)、小金井市史編さん委員会、小金井市、313-315頁

(2)注釈『指田日記』(上巻)、武蔵村山市立歴史民俗資料館、武蔵村山教育委員会、242頁

(3)編者大石 学『多摩と江戸』、(財)「たましん地域文化財団」、(株)けやき出版、267-271頁

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