20220227
幕末の多摩の女性の生涯(4)-荻島まさ-
プロロ-グ
荻島家は宮下村(現:八王子市宮下町)のうち旗本川村家知行地の名主で、川村家より名字帯刀を許されていた。宗十郎、源平衛の代、寛政期(1789~1801)頃から在方縞買(参照1)として盛んに活動を始めた。在方縞買となっても営業を継続する者は少なく、短期に休業、廃業する者がある中で、荻島家は寛政6年(1794)~明治7年(1874)まで80年間縞買を続けていた。
天保期間(1830-43)には、近江商人の進出などの織物の需要が増加する一方で、粗製乱造の弊害が生じ八王子織物業は沈静期に入る。荻島家でも商売が思う様に行かず家財・田畑・山林の一部を手放すことになる。以下、同家出身で大名家(越前松平家/薩摩島津家)へ奉公に上がった荻島まさの物語である。
八王子宮下町
出典:「Wikipedia」
まさの出自
(福井藩)
まさ(喜尾)(別名やま<文政2年生~明治6年>)は荻島家の分家(通称「坎下」はけした)の荻島専助(天保11年没<1840年>)と名主宗十郎の娘ろくとの間に生まれた。天保3年(1832年)頃、福井藩越前松平家(32万石/江戸上屋敷:現在大手町プレス付近)に奉公した。弘化5年(1848年)に上川口村の滝島八郎右衛門と結婚する。当時としては晩婚であったが、諸般の事情で離婚を望み江戸に出る。
福井城址
出典:「ふくいドットコム」
(島津藩)
当時、「八十路」、「やま」という女中名を使用していた。嘉永5年(1852)頃、芝の薩摩藩島津家(72万8千石)の上屋敷(現在:港区三田)に奉公に上がる。島津家には入ってからは「喜尾」を使用し、昇進によって「瀧尾」と改名している。右筆・表使(公文書作成と保管など)として幕末まで勤務している。
荻島まさは、吉野みち、野口とら(藤波)のように手紙が残っていないため、喜尾個人の状況については不明である。右筆となり、喜尾の手元には島津家奥の文書容器の中に記録が残っている。13代将軍徳川家定の御台所(正室)天璋院は島津斉彬の養女であったため島津家の奥は天璋院を通じて大奥や御三卿の奥との交流があった。
(長持と文書)
荻島まさは明治元年に故郷の宮下村に戻り、荻島家で隠居し、明治6年(55歳)で死去し、常福寺に葬られた。長持と文書はその前後に宮下村に運ばれ、以後、八王子に残る。現在、文書容器である(芝藩邸の右筆部屋)の文字と島津家家紋入りの長持ち2個は、同じく家紋入りの油単(参照2)とともに郷土資料館に収蔵されている。他に島津家から拝領された椀10客がある。以下、荻島家文書おける書状収受状況一覧荻島家文書おける書状収受状況一覧(一部)である。
- 相手先 差出人(女中名) 受取人(女中名)
- 大奥(家茂) 家茂付老女(万里小路) 島津家老女(岡村など)
- 大奥(天璋院) 島津家老女(花川) 天璋院付老女(つぼね)
- 大名家 福岡藩黒田家美濃守付女中(瀧嶋) 島津家老女(岡村など)
- 大名家 南部家遠江付女中(津河など) 島津家老女(花川など)
(公私日記)
瀧尾に関して、以下、荻島家と親戚関係にある柴崎村(現:立川市)の鈴木家に残る「公私日記」における瀧尾についての年譜である。
<年譜>
- 文政2年(1):宮下村に生まれる
- 天保3年(14):越前松平家に奉公に上がる
- 天保11年(22):5月3日卯兵衛、(兄)死去、
10月15日、家老人(父専助)死去 - 天保13年(24):奉公から11年が経過
- 弘化5年(30):上川口村滝島八郎衛門と結婚
- 嘉永3年(32):実家に戻る
- 嘉永4年(33):再度松平家に奉公に出る
- 嘉永5年(34):島津家へ奉公にでる
- 嘉永6年(35):滝島八郎衛門と正式に離別する
- 慶応2年(48):3月、昇進して表使を兼務、女中名を瀧尾と改める
- 明治元年(50):宮下村に戻り、荻島家に寄留し、隠居する
- 明治6年(55):12月4日、死去し、故郷宮下村の常福寺に葬られた
エピローグ
荻島まさは多事多難な人生を歩んだ。最初の奉公先は福井藩(32万石)で、藩主は名君で知られる松平春嶽である-第11代将軍徳川家斉の弟で田安家継いだ慶永である。荻尾まさはこの松平家にほぼ11年間奉公した。
嘉永4年(1851)に再度松平家に奉公した後、嘉永5年(34)の時、九州の雄藩である薩摩藩へ奉公(喜尾)に入った。出世し、右筆となった。手元には島津家奥の記録(文書容器)が残った。
当家の奥は第13代徳川家定の御台所(正室)となった天璋院は島津斉彬の養女であったことから、島津家の奥は天璋院を通じて大奥や御三卿との交流があった。荻島まさは、徳川家の御意見番の福井藩と反徳川の雄薩摩藩に身を置いた。幕藩体制の終焉期において、多くの歴史の本流および裏面を見た。
鹿児島城
出典:「Wikipedia」
(グローバリゼーション研究所)所長 五十嵐正樹
引用史料
- 特別展「多摩の女性の武家奉公」、平成11年3月16日(火)、江戸東京建物園
- 編著編「多摩の近世・近代史」、中央大学出版部、26~43頁
- 中嶋繁雄著「大名の日本地図」、文藝春秋社、平成16年11月20日、第1刷発行
参照
- (1)八王子十五宿に存在するものを町(宿)方縞買といい、これに対し、近隣農村に存在するものを在方縞買という。在方縞買は江戸への仲買を業務とし、八王子などの市で縞織物を集荷し、江戸市中の中小呉服屋を主な販売先とした。
- (2)油単:箪笥や長持などにかけられるカバ-。



