20220203
幕末の多摩の女性の生涯(2)-野口とら-
プロロ-グ
この報告は、江戸時代に上平井村(現:東京都日の出町)の代々八王子千人同心(参照1)の家系に生まれ、後に大奥に上がった野口とら(文化8年<1811>-慶応2年<1866>大奥名=藤波)の物語である。史料は「東京たてもの園」主催の特別展示「多摩の女性の武家奉公」(会期:平成11年3月16日<火>~4月25日<日>)で配布された史料より引用、加えて、他の史料を付け加え作成したものである。
八王子千人同心の家
出典:「写真AC」
出自
野口家は藤波の2人の弟である/郁三郎・八三郎(佐津之助)は、窪田鉄三郎組の八王子千人同心に所属していた-祖父の伊右衛門、父の金兵衛も同千人同心であった。弟・佐津之助、甥・光太郎は長州征伐の舞台に参加し、上洛している。藤波は文化8年(1811)の生まれで、天保8年(1837)頃、大奥へ奉公に上がっている。藤波の大叔母さつが第11代将軍徳川家斉の御使番頭をしており、その縁によるものと思われる。
嘉永7年(1854)の大奥分限帳(参照2)によると、藤波は第13代将軍徳川家定の御使番(参照3)、家定の死により職を失いそうになるが、その後、紀州から来た御方(13代将軍家茂の生母・実成院)付となったと思われる。慶応元年(1865)佐津之助が大坂から出した手紙に「御本丸 藤波様」とあることから、慶応2年3月に亡くなるまで、大奥でご奉公を続けていたことがわかる。
産物
上平井村は、延享4年(1747)御三卿の一つである田安家の領地となり、天保3年(1832年)、幕府領地(天領)に復帰して江川太郎左衛門(伊豆韮山代官)の支配地となった。村の主力農産物は麦や大豆などの畑作物である。黒八丈(参照4)や木綿縞などの織物も農閑期の生産物として農民の生活を支えた。その結果、幕末から明治にかけて絹織物の仲買を行う者も出てきた。
近郊より織り出した絹紬類を買い、江戸表の店々へ売り渡していた。売り渡し先としては三井越後屋(三井財閥の前身)・伊豆蔵屋などの大店が挙げられる。上平井村は織物の売買を通じ、八王子・江戸との経済的に結びつきを強くした。嘉永7年(1854)の記録によると、当村には八王寺千人同心株を持つ者が21人いた。
黒八丈
出典:「廣田紬株式会社 ブログ」
書状
産物評価
藤波は弟郁三郎(文政5年生)に宛てた書状:黒八丈切を持ってきてくれた礼を述べる一方で、太織りは裾(すそ)には向かない。織の確かなものを頼むなどと注文を付けている。黒八丈は平井村の代表的産物である。江戸時代の後半から昭和初期にかけて、多摩川の支流の秋川、平井川の流域で作られた絹織物で、ヤシャブシの実(参照5)と泥汁に繰り返しつけて黒一色に染め上げる。着物は襟や袖口、帯、羽織などに多く用いられた。
身の上
安政5年(1858)
くら(母親/寛政10年生)、弟郁三郎に宛にだされた書状
第13代将軍徳川家定の死去(文中では大病といっている)を知らせる手紙である。家定死後も奉公が続けられるか自分の身の上を心配する。次に、90歳になって少々惚けてきた行善の死後の処理に話は移る。行善は藤波の大叔母で徳川家斉の御使番頭を長年(50年程)勤めたさつの隠居名と思われる。
話はまた家定のことに戻り、すぐに死亡は公表されないが、毒薬を盛られ病状が悪化し、水戸、尾張、一橋、越前らが裏で糸を引いていたのではないかと、内々の事情も洩らしている。当時、大奥でこのような噂が拡がっていたことが窺える。
母くら宛
火の番の八十路がそちら(上平井村)に伺うので見苦しくないように、自分は宿元を千人町辺と偽って同僚に話しているので、辻褄(つじつま=話の筋道が通る)を合わせるように母(くら)に念をおしている。分限帳でも住まいが八王子、弟の郁三郎が従弟となっている。
このように正式に提出した親類書にも手を加えたのであろうか。藤波の親類書が残っていないのが残念である。もっとも格をあげるため親元と宿元が違う例もある。火の番は大奥女中の職制である。各部屋の火の元を注意する役、行善や藤波の手紙には、「上﨟御年寄・飛鳥井」「使番・妻木」など上司や同僚の名前がしばしば登場する。
エピロ-グ
大奥における野口とら(藤波)の仕事は第13代将軍徳川家定の御使番であった。片や実家は八王子の千人同心の仕事であった-日光東照宮や関東一円の治安維持のための警備に当たっていた。しかも職務は厳しい環境の中で幕府体制維持のために昼夜兼行で遂行していた。
日光東照宮 陽明門
出典:「日光東照宮-御朱印」
野口とらの書状をみると、徳川家定の死(噂では毒殺)に伴うとらの職場環境の変化は、幕末の幕藩体制の軋みを教えてくれる。この情報は野口とらの独自の有力情報である。多摩の女性は吉野みちさんの書状で指摘しているように江戸市中の町屋の女性よりも働きものであると評価が高かった。
(グロ-バリゼ-ション研究所)所長 五十嵐正樹
参照
(1)八王子千人同心
- 江戸幕府の職制の一つ。幕府の直轄領である武蔵国多摩郡八王子(現東京都八王子市)に配置された譜代旗本およびその配下譜代武士(譜代同心)のことである。職務は多岐にわたり、関ヶ原の戦いの参陣、日光勤番、甲州街道・日光街道(日光脇往還)の整備、蝦夷地警護と開拓、八王子及び周辺地域の治安維持であった。人員は1000人。
- 居住地は、拝領地である千人町、八王子十五宿、農村地域の3か所に大別できる。在村千人同心は秋川の地域の村に居住しており、平井村は群を抜いて多い。農村で生活する時は農民身分で村掟や名主の指図に従い、宗門人別帳には苗字は記載されない。また、千人同心は田畑の所持がみとめられなかったため郁三郎の弟秀次郎の田畑の引受人となり、宗門人別帳では筆頭者になっている。
(2)大奥分限帳:(大奥に勤める職員録)
(3)御使番:分限帳によると職階性の一つであり、御目見以下であり、御台所(将軍の正室)や上級女性の書簡、進物などを御広敷役人に受渡をした。
(4)黒八丈(絹織物)絹織物の一種:緯(よこいと)を、鉄分を含む泥土液にしてタンニンで黒染めをした物。太い緯を織り込むから平織ではあるが、横うねが現れる。東京都あきる野市、五日町の特産であった。半襟、袖口などに用いる<黒八>(日本大百科全書)。
(5)ヤシャブシの実:ヤシャブシ(夜叉五倍子)の名前の由来は、熟した果穂が夜叉にも似ている。また、果穂はタンニンを多く含み、五倍子(フシ)の代用(タンニンを多く含有する五倍子は古来、黒色の顔料、お歯黒、染め物などに使われてきた)とした。



