20221006
岩代浩一先生の思い出
プロロ-グ
出典:昭和29年度 武蔵野市立境南小学校卒業記念
筆者は1941年8月(昭和16年)生まれです-4か月後、太平洋戦争が勃発し、4年後敗戦(1945年/昭和20年8月)を迎えます。3年後の1948年4月(昭和23年)、武蔵野市立第二小学校に入学。担任は背の高い素敵で優しい木鉛先生(女性)でした。当時の1年生の遠足は井之頭公園でした。筆者は親父の軍服を直した重い上着・半ズボンを着衣し、旧軍の水筒を掛けて出かけました-今から75年前の出来事です。
1951年3月1日(昭和26年)に武蔵野市境南地区(駅南側)に武蔵野市立境南小学校が設立されます-とりあえず、1952年(昭和27年)、第二小学校から関東高校(現聖徳学園高等学校)へ引っ越しすることになりました。未だ境南小学校は建設中のためでした。いち早く給食室だけが出来上がり、給食担当のクラスメイトは毎日、時より青大将(ヘビ)が出没する樹々のトンネルの細い道を歩きました。以下、当時の学校風景と岩代浩一先生の授業と退職後の目覚ましい活躍を記した。
授業風景
道草通学
境南小学校の設立は戦後7年が経っていました。未だ日常生活は十分な物(食料品/衣料)がなかった時代です。それでも生徒は元気で笑顔を絶やさず身綺麗な恰好で通学していました。途中、武蔵境変電所から流れる小川が流れ、小魚がいました。時々道草をしながら同級生と日々楽しい時間を過ごします。
当時、境南小学校を向かって左側(現在後藤医院付近)は、一面境駅近くまでは畑です-サツマイモ/ジャガイモ/小麦などが植えられ食料難を補完し、時には失礼して頂きました。6月頃には夕方になると、蛍(ほたる)が飛び交う季節もありました。皆が貧しい日常生活でしたが、皆が屈託なく、豊かな自然環境の中で通学していました。
諸先生
筆者は1954年(昭和29年)3月に境南小学校を卒業しました。その際、作成された「卒業記念」(第二回武蔵野市立境南小学校)を見ますと、教職員(先生)は船越賢次郎校長以下、20名が在籍していました(写真参照1)。筆者は6年3組で、39名のクラスメイトと共に勉学し、給食を共にしていました(写真参照2)。
写真1
出典:昭和29年度 武蔵野市立境南小学校卒業記念
写真2
出典:昭和29年度 武蔵野市立境南小学校卒業記念
当時の給食は文化堂(パン製造)のコッペパン・脱脂粉乳・副食などでした。脱脂粉乳は不味く、特に冷めると一層酷かったことを記憶しています。それでも生徒は完食しています。先生は皆若く教育に熱意を感じられる日々でした-国民の多くは敗戦の失意から漸く我に返り、将来に希望を持ちつつあった時だったと思います。
新井先生のこと
筆者は6年3組、担人は新井信巳先生です。群馬県神流町(かんなまち)出身です。5年生の時、希望者を募り、日帰りで先生の引率で実家を訪れました。八高線群馬藤岡駅で下車し、バスに乗り換え神流川に沿って、悪路を1時間ほど走り続けます。後ろを振り向くと、埃が巻き上がり、風景が見えなくなる程でした。実家(蚕糸農家)は、バス停から見える山の中腹にあり、くねくねした道を上り詰めた所にあります。家族一同が歓待してくれました。得難い経験-新井先生に感謝・感謝!でした。
夏休みに入る前、先生は昼休み時間に生徒と話す機会がありました。当時は冷房がなく、先生は内輪を仰ぎながら少し大きめな声で生徒と歓談することが度々あり、生徒の顔・顔は屈託ない笑顔に包まれました。
岩代先生
岩代先生
出典:昭和29年度武蔵野市立境南小学校卒業記念
漲る力
岩代浩一先生-音楽担当-でした。週1で音楽の時間がありました。正門は今の田崎自転車店の前を入ると、右側(北と南向きに)にモルタルの2階建て(現在は桜の老木あります)の校舎があり、階段を上がると、音楽室がありました。特に筆者は岩代先生のピアノと歌が大好きで毎週音楽授業を楽しみにしていました。
ピアノはグランドピアノ(写真参照)、岩代先生(24歳)は色白で中肉中背、エネルギッシュでカンツオ-ネに似た力の漲った(みなぎ)歌唱力がありました。当時の世相は、まだまだ戦争の傷痕が残っていましたので、先生は生徒に元気を付ける“エネルギ-源”であったと思います。
グランドピアノ
出典:昭和29年度武蔵野市立境南小学校卒業記念
「卒業記念」(昭和29年3月)-祝境南第二回卒業生への寄せ書きを見ると、岩代先生は「死んでも負けるべからず」と記しています(写真参照3)。先生は筆者が卒業してから2年程教鞭をとられています。先生は教員らしくない柔らかさとスト-レイトに物言う方で、“いつも飛んでいました”(前向きな方)。
筆者の知人が都立高校の受験科目「音楽」の成績が悪いため、母親が心配して、岩代先生の知人を通じて、先生に数か月教えて頂きました。教え方も上手で、暫くすると成績は良くなりました。時には先生は私に、「私を好きになったらだめですよ!私にはすでに婚約がいるから」と・・・・・。先生は、もみじ山(もみじ林)近くの家を借りて通学していました(武蔵野市境771番地)。在校中、校歌「光をあびて」(作詞吉田武義/作曲岩代浩一)を作曲しています。
友人から聞いた話しですと、先生は東京芸術大学の受験の際、当時、安川加寿子さんの前でピアノの課題曲を弾き始めました。暫くすると譜面が落ちてしまいましたが、岩代先生はそのまま引き続け、終了した時、安川加寿子さんは曰く、「岩代さんは編曲がじょうずですね!」とコメントしたそうです!
後の諸活動
人生賛歌
岩代先生は境南小学校を退職してから八面六臂の活動をしています-1958年よりラジオ番組「NHK立体音楽堂」、テレビ番組「歌の広場」を担当しました。以後も多くのテレビ番組や東京を中心とした舞台(演劇)などの音楽を数多く担当します。加えて、国民文化祭(文化庁主催)の音楽監督など歴任します。長年にわたる民謡関係の番組では、「イワシロ・メロディ-」と呼ばれるほどの“斬新な発想による編曲”を手がけています。
テレビ番組「できるかな」の音楽は12年担当したことでNHK放送基金賞を受章。地方や中国に話題を移しますと、熊本民歌、「火の国旅情」など、全国の抒情歌も多く手掛け、中国の大連市歌(熊本県姉妹都市)、桂林市歌なども作曲しています。受章歴として1960年:中山晋平受章、1963年:カンヌ国際音楽賞受賞、1989年:日本作曲家協会賞受賞。
来歴
熊本出身
岩代先生は“火の国”熊本阿蘇の出身です-1930年8月23日(昭和5年)の生まれです。熊本に下宿するようになると、素行不良から停学、謹慎、退校などの処分を受けます。それを機にNHK熊本放送局、九州管弦楽団の練習所に無断で入り浸りするようになります。その経験から音楽への興味が高まります。
その岩代の言動みた父親(教育者)は犬童球渓の長男の熊本教育界筆頭の梅沢信一に紹介してやよろうということになり、17歳で音楽の個人指導を受けてから密かにプロへの作曲家を目指すようになります。友人に「プロの作曲家になる」と明言すると、「夢物語」と、一笑に付されます。
熊本大学
1952年(昭和27年)、熊本大学教育学部国文科卒業しています。在学中16名の楽団を結成し、楽団の移動には議員専用のバスを借り、会場を借りる際には値引き交渉したことなどから多額の収益を得ます。その収益でオルガンを購入し、進んで熊本大学に寄贈したりしたことから大学側からのクレ-ムはなかった。卒業後、熊本市京町の中学校に赴任します。1953年、作曲家を志して上京し、梅沢信一の紹介で東京藝術大学教授松本民之助、島岡譲に作曲家理論を師事します。
エピロ-グ
岩代先生の音楽授業は生徒の共に楽しい時間を過ごすことができました。卒業アルバムの中の音楽授業の風景は今でも鮮明に覚えています。それから68年の歳月が流れました。その後の先生の活躍は目を見張るものがありました。
先生は終生飛んでいました(前向き)-自分の人生を納得するまで!しかし、残念ながら岩代先生は2012年4月22日亡くなれました(1930年8月23日<熊本県>-2012年4月22日<神奈川県>)(享年81歳)。筆者は本年8月23日に81歳を迎えました。
出典:昭和29年度武蔵野市立境南小学校卒業記念
グロ-バリゼ-ション研究所所長 五十嵐正樹
資料
- 昭和29年3月「卒業記念」第二回 武蔵野市立境南小学校
- ウィキペディア
- 「朝日新聞デジタル」2011年1月11日
- 地図「武蔵野市境南町一、二、三、四、五丁目」、昭和41年4月1日施行、武蔵野市役所
参考
岩代太郎
子息の岩代太郎もまた父親と同じく同じ道を辿ります。母(綾子)はボ-ナスをもらえる人(サラリ-マン)になって欲しいと願っていたが、突然の決意表明であったが、「悩んだ末の結論だろう、父浩一に伝えた」という。1989年、都立芸術高等学校を卒業して1浪の後、東京藝術大学音楽部作曲家に入学する。
1991年同大学院修士課程を首席で終了し、近藤譲、南弘明、黛敏郎に師事した。1990から1991年かけて行われたシルクロ-ド国際管弦楽作曲コンク-ルに応募し、團伊久磨、黛敏郎、山田一雄などの審査委員から高い評価を得ている。以後、多彩なジャンルで活動しており、特にテレビドラマの音楽を数多く手掛けている。以下、諸活動を記した。
2003年6月9日、当時日本テレビのアナウンサ-だった松本志のぶと結婚した。2006年より東京交響楽団の理事に就任した。2009年「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」の奉祝曲の音楽を委嘱され、同祭典において『奉祝曲組曲「太陽の国」』を発表した。加えて、『ニュ-ズウィ-ク』日本版では、「世界が尊敬する日本人100人」の特集記事おいて、北野武、田村響、隈研吾らと共に紹介されています。






